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2006年10月19日
増やすほど片づかない!
収納のために買った収納グッズが邪魔物になっているとは、皮肉なものです。
おもしろいもので、かたづかないというと、どういうわけか収納用品を買えば何とかなると考えるものです。
しかし、買えば買うほど、かたづかなくなります。
それは、収納が悪いからではないのです。
収納すら活かせない腕の悪さが原因です。
やるべきことは今ある収納で大丈夫なところまで物を減らすことなのです。
うまく使えなかった収納用品に、しがみついてはいけません。
どんなペン立てが良いか一生懸命考えて買ってくる。 それも一考ですが、次のように考えるとどうなるでしょう。
机には引き出しがある。
そして使い終わったらまた元のトレーに戻す。
後者の考え方だとペン立てを買う必要はありません。
無理にそうしましょうとは申しません。
どちらが物の増殖に歯止めを掛けられる考え方かは明白だと思います。
収納を減らすこと。
個人にとっての資料とは?
何をもって資料と呼ぶのかは意味不明です。
なにかの役に立ちそうな物のことを資料と呼ぶのでしょう。
資料イコール紙とは限りませんが、ー応紙の資料についてです。
結論から言うと、捨てる以外に手はないと思います。
研究者や文筆家というのなら、多少人様よりもそれらの物が多くても仕方ないかもしれませんが、一般の人が自宅や職場に山のように資料を抱えている必要が、あるでしょうか。
いつか、役に立つ、いつか、また使う・・・
そのようなことが起きる確率は低いと思います。
それでも必要とおっしゃるなら、これは保有する量を決めて、はみ出し分は定期的に処分して行くしかありません。
どうしても残すのなら、デジタル化しましょう。
スキャナーなどを利用して、パソコンに取り込みましょう。
これから以降の対策をと思うのなら、資料を収集する段階からデジタル化された物のみ集めるというように決めることです。
新聞の切り抜きはインターネットでダウンロードした物のみを資料とする、という具合にです。
実際そうやって苦労して収めた資料は本当に出番が来るのでしょうか。
知人で、クリアファイルを押入れ一杯溜め込んでいる人がいました。
その人にとって必要な資料も、月日が過ぎてしまえば、内容は古くなってしまいます。
会社で「あ〜あれ、どういうのだったかな」と話が出て、「あ、それ私家に持ってるから、明日持って来ましょうか」と言う。
今、インターネットでその場で検索すれば、ペーパーレスで、素早く見たいデータが見られます。
古い「資料」は、ただの「紙」です。
場所を取る「資料」という形より、デジタル化するか思い切って処分しましょう。
遺品、先祖代々のものを、捨てる!
遺品を捨てるというのは、これこそ難しいものです。
7年前に母が亡くなった時、遺品の始末は残った父に全て任せました。
几帳面な父は、少しずつでも処分をしていっていたようですが、今年父が亡くなった時、まだ手付かずの母のモノが出てきました。
やはり、モノの無い時代を生きてきた人ですから、「何かの時の為に」「使う時がくるかもしれない」と思い、取って置いたようです。
それに加え、新たに父が溜め込んだモノも、ごっそり出てきました。
時期が初夏でもあり、食料品だけでも処分しなければ、と思い、手を付け始めましたが、出てくる、出てくる〜
キムチの瓶が何十個も出てきたり、チャック付き袋が何十枚も出てきたり、それも、食品が入っていたチャック袋を洗ったものです。
それに何を入れるつもりだったのかと、見つけたときに愕然としました。
食料品だけ、と思い始めた掃除は、結局父の衣類や、寝具の始末、鍋、釜、食器など、生活に使用していたものほとんどを不燃ゴミとして出したり、ホームレス支援に送ったりするようになりました。
その時、「人と言うのは、燃えないゴミに囲まれて暮しているようなものだ」と思いました。
それらの中で、父が生きた証として、手元に残して置こうと思ったものは、長年大工として働いてきた父が愛用していた道具類、それもおおきなモノは置けませんから、ノミやかなづちなど、小さなものを数点と、何度も読み返していた歴史小説などでした。
母が亡くなった時、遺品の整理をしていなかった為、悲しみとかに向き合う時間が少なかったのですが(それを父が引き受けてくれた)、父という、最後の肉親が亡くなった時には、遺品の整理をしながら、胸に迫るものがありました。
ある程度の年月を生き延びてきてしまった物というのは、意味不明の説得力を特つものです。それらを、捨てるための精神的ハードルが高い物の処分に手を染めるのは、最後の最後でも良いと思うのです。
その代わりというわけでもないのですが、比較的新しい、まだ誰の思いも染みていないような物から先に処分してみれば良いのではと考えます。
雑誌1冊例にとっても、つい最近買った物はまだ捨てやすいのです。ところが何かのはずみで5年10年捨てられずに残ってしまった物というのは、妙に捨てにくいものなのです。
要は総量が減れば良いのですから、捨てるのに悩む物のことはこの際考えないで、比較的気軽に捨てられそうな物から始めれば良いと思います。
これがつまり、「新しい物から捨ててみる」です。
遺品というのは、最終的には全てゴミになるものだと思います。
それでも、その一握りの選りすぐりの遺品は、身近なところに置いてあげたいとも思うのです。
遺品を単なる日陰者にしてはいけないと考えます。故人の残したものを家族で見つめて、亡くなったその人のことについて思いを巡らせたり語ったりする機会を、意識して生活の中に作れたら素敵です。
遺品やさらに古い祖先が残したものは、そのように精神的なところでのお役立ちグッズにしてみましょう。
そのようなことを繰り返しながら、過剰な遺品については少しずつ処分をしていくということでも良いのではないでしょうか。
捨てづらいけど、捨てる!
手をつけるわけにはいかない物の代名詞みたいな存在です。
私には、同居の親はいませんが、親の待ち物には困り果てたことがあります。
親の待ち物といっても、正確には親が自分だけのために買った物というのではなく、いわゆる家族みんなのために過去に買った物という意昧なのですが、何しろモノを捨てない、溜め込む年代の人達には、困ってしまいます。
母は、簡単にモノを捨てる人でしたが、買い込む人でもありました。
それも、買う時に必ず2つずつなのです。
使って良かったら、一つ人に分けよう、とか、また買いに来るのは面倒だから、など母なりに理由はあったようなのですが、気に入らなかった時、我が家には合わなかった時も、それは2つあるのでした。
捨てるとなると過剰な反応をする人というのはいるものです。 普段使っていなかったり、その存在自体を忘れているような場合でも、捨てるとなると、いや、待って。というのです。
私自身は、今いらない、となると、サッサと捨てられる性分ですが、家族にはそうでない人もいて、「ん〜捨てたら、後で何か言われるかなぁ」なんて思うと、結局元通りに置いてしまったりして、片づかないのです。
そんな自分のモノ以外のモノを捨てる方法。
まず、仕舞い場所を変え、「別の所にしまっておくから」と言い、実際その通りにします。
その後、期間を置いて、本当に処分するのです。
馬鹿らしい段取りを踏んでいるとも言えますが、急がば回れです。
ストレートに捨てる方法に訴えていたら、いざこざが起きて肝心の作業は進まなくなってしまったと思います。
他に仕舞う場所がない、などの時は、思い切ってトランクルームを借りましょう。
永遠に保管するために借りるのではありません。
一時「隠す」為に借りるのです。
結局捨てるのに馬鹿らしいと思うかもしれませんが、これも思いやりの一つとお考え下さい。
無くても困らないモノは、捨てる!
この「付属品」とは、家電品などを買った際に付いている、部品や備品のことです。
元箱やパッケージの中に、これらも収めたままにしている人もいるでしょう。
アチコチの引き出しに入ったままの人も多いでしょう。
ネジみたいな物だったり、コードだったり、使う時があるのかないのか・・・。
開封した途端に、これは要らないな、とわかるのなら良いのですが、なかなかそうはいかないでしょうから、一定期間が経過して、どうやらなくても大丈夫だと思えたなら、その段階で捨てることにしましょう。
今まで使わなかった物は、使わない物なのです。
保証書は有効期眼中はとって置かなければなりません。
そのあとは無用の長物です。
保証書の有効期限は不明です。
つまり、賞味期限がわからないから捨てられなくなってしまうのです。
お店側が保証書に購入年月をきちんと書いてくれると良いのですが、「これを貼っておいてください」、などと店名入りのシールなど渡されると、その段階からあいまいになってしまいます。
保証書を管理したかったら、保証書がはじめて手元に来たその瞬間が肝心です。
裏面で結構ですから、購入年月日を書いておいて下さい。その上で保証書の収納場所にまって下さい。
そんな面倒なことは出来ないと思ったら、やはり保証書は適当なところで勘に頼って捨てるしかありません。
この例と限りませんが、すっきり暮らしたいと思うのなら、万が一を思い煩わないことです。
あきらめが悪いとかたづきません。かたづけられる人と、そうでない人との差は、このあきらめの良さなのです。
幸福・開運グッズも迷ったら捨てる!
捨てたらバチがそうで捨てられないかもしれません。
効能が現れているものを捨てようかどうしようか迷う人はいないでしょうから、どうしようかな? と悩んでいること自体、効き目がない証拠かもしれません。
この日までに効かなかったら捨てた方が良いです、と書いておいてくれるとありがたいですね。
使用開始何日目くらいから効果が出始めるのかも書いておいて欲しいものです。
精神面での支えになってくれるものを、大切にするのは、それはそれで必要な事だと思います。
でも、どんなグッズも出来るのはお手伝いだけです。
どういうことかと言うと、肝心の本人がさっぱり行勤しないでいたら、お手伝いしようにも手伝いようがないということです。
素敵な出会いをしたかったら、自分が素敵な人になるしかありません。
自分が素敵でないのに、素敵な人が寄ってくるわけはないのです。
そのように冷静な判断が出来る人は滅多にいませんので、結局みんな見る目がないのよね、で終わらせてしまう人もいます。
我が家にも、神棚があります。
愛知県の方の、小さな神社のお札ですが、縁あってお祀りさせていただくこととなりました。
朝と晩、お水を上げたり、下げたりの時に、拍手を打って、拝します。
信仰というものは持っていませんが、心の中に何かがあることで、自分を正したり、律することになれば、と思います。
お願いしてばかりでは、神様も話しさえ聞いてくれないでしょう。
お願いするかわりに、自分が努力する事を約束します。
何をどれだけ待っていようとも個々人の勝手です。
でも、幸運グッズや開運グッズで運を逃したのではシャレにもなりません。
せっかくの精神的グッズは、出来れば厳選された物をかたづいた環境に置いてあげることでしょう。
グッズがいくつ、どこにあるのか判らない状況で効き目がないと言われても神様たちも困ると思います。
幸福グッズ・開運グッズ・お札・お守りなどは、近所の神社で結構ですから、納札所に納めましょう。
お炊き上げの時に、一緒に炊いてくださいます。
その際、ビニールケースなど不燃性の物は、外した方が良いでしょう。
使い切れないものは、捨てる!
ボールペンなど、特に買って来たりしないのに、いつのまにかソファや、テーブルの上に転がっています。
これは、買い物をした時に景品として付いていたり、貰ってきたりしたものが多いですね。
会社勤めをしていた頃は、会社の備品のボールペンではなく、自分の使い勝手の良いものを買って使っていたので、それらが未だに家にあったりします。
使う数は知れているので、何本かペン立てや机の引き出しに入れ、後はひとまとめにしてしまっています。
それでも、しまっていたものを出して補充する必要がないほど、いつのまにやらペン立てに新しいペンが入っていたりします。
1本のボールペンのインクが無くなるまで使うことが、どれほどあるでしょうか。
それらも、整理する為には、結局捨てる事が一番になってしまうのです。
海外の物の不足で困っている少年少女が、1本の鉛筆や、ボールペンを大切に使っているのをTVで見た事がありました。
そういった国に、使っていないボールペンを贈る事が出来るといいのですが、ネットで調べてみた所、資金を集めて、それでボールペンを購入して・・・という形のようですね。
衣料と一緒に、寄付する事が出来れば良いのに。
「あったら便利」なものは、無くても大丈夫。
今現在実際に重宝している物を捨てる必要はありません。
問題はもちろん、役には立っていない便利グッズです。
なにが自分にとって役立ちグッズなのか、本当は試してみないことには始まりません。
どうしたことか出番がない物というのはあります。
その傍にある別の物を手にとって便ってしまう。
そんな物の覚えはありませんか。出番がない物はない物です。
それはやっぱり要らない物なのです。
中には、確かに使った。
その時はそれがないとどうにもならなかった、などという特殊な道具もあるかもしれません。
その種の便利グッズは、例えばたったI回でも使う快楽を味わわせてくれれば役目を果たしたといっても過言ではないのです。
随分昔の事ですが、我が家にジューサーミキサーがありました。
最初の内は、ミンチが作れたり、ミルクセーキが作れたりして、面白がって色々とやりました。
が、結局後始末の面倒臭さと、出し放しにしておくほどのスペースもなかったので、使うたびに棚から下ろしたり、使った後、また戻したりの手間が面倒になり、いつしか使わなくなりました。
珍しいオモチャが手に入った時のように、一時夢中になっただけで、すぐ飽きたのです。
歳月が経ち、今の健康ブームの中で、毎朝野菜ジュースを作って飲むようになりました。
新しいジューサーミキサーを購入しました。
昔のものに比べて、後始末が簡単になり、大きさもさほどでなく、出しておいても場所を取らないので、必要な時にすぐ使うことが出来、億劫ではなくなりました。
便利そう、と思っても、他のもので代用できたり、少し何かを工夫する事で、なくても同じ様に出来たりするものは沢山あります。
コマーシャルをみて、これは便利快適そうだと手を出すのも結構ですが、その割にはどれくらい生活が便利になっているのでしょうか。
掃除ひとつを例にとっても、極端に言えば、掃除機と雑巾だけあればたいていのお掃除なんて(水回りを除きます)出来てしまうのです。
快適さは過剰なものだから我が家ではなくても良いことにしよう、と退けてしまう姿勢こそが大事なのです。
このように考え方自体を改めないと、いつまで経っても不要品を買い続けることになりす。
本当に、健康で美しくなる為に、捨てる!
置いておくだけでは美しくも健康にもなれない。
毎日のように使っていればもちろん問題ありません。
そうでない場合、結論からいうと、捨てるに越したことはありません。
健康に良いと思い買った○○も、お肌のお手入れに良い○○も、それはあくまでも使い続けていれば、の事です。
押入れの奥にしまっておいては、効果は望めないのです。
結構高かった、とか、買っただけでほとんど使っていないとか事情はあるでしょう。
でも、それは物をとっておく基準にはなりません。
これまでだって使わなかったものを、これから使うとは思えません。
美容や健康を願うこと自体は結構なことです。
しかし、永続的に取り組みたかったら、出来るだけ方法でやった方が良いと思います。
腹筋や腕立て伏せなら、何も道具がなくても出来ます。
なにか道具を使わないと出来ないというのは、不利です。
ぶら下がり健康器がなくても、近所の公園に鉄棒があればぷら下がれるかもしれません。
やはり色々あっても生き残っていくのはシンプルで電源なしで使える物たちのようです。
電気の力を借りる物には、それはそれで良いところがいっぱいありますが、電源コードを差し込むという一手間が障害になりますし、充電式のものは充電するという行為が障害になります。
そういえば、壊れているけどそのままとってあるなどというのは最悪です。
今ある不要品を処分するのは当たり前だとして、その後同じようなことを繰り返さないためにも、そのような理由の分析は必要でしょう。